スポンサーサイト

--–--–-- (--) --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「ナビィの恋」 (2006)

2007–05–25 (Fri) 03:10

ナビィの恋 

原題 NABBIE'S LOVE
製作年度 1999年  
製作国 日本
上映時間 92分
監督 中江裕司
脚本 中江裕司 、中江素子  
音楽 磯田健一郎
出演 西田尚美 、村上淳 、平良とみ 、登川誠仁 、平良進 、兼島麗子 、アシュレイ・マックアイザック 、嘉手苅林昌 、大城美佐子 、山里勇吉 、津波信一 、嘉手苅林次 、吉田妙子 、島正廣 、仲嶺真永 、大田守邦 、宇座里枝


(*レビュー中、役名の「ナビィ」と、役者名の「平良とみ」がごっちゃになってて分かりにくいかもしれませんがご了承くだされ)


「恋しくて」の中江祐司監督作。

この監督は沖縄を舞台にした映画に専心しているようですね。

「ナヴィの恋」の舞台は粟国島。
西田さんが恋するのかと思いきや―いや、確かに彼女の恋も並走するのですが―メインはなんとナビィ…つまり平良とみさん(当時70歳くらい)の恋物語。
かつて契りをかわしたものの、親族によって引き離されてしまったお方が数十年ぶりに島へと帰ってきた。
今は結婚して娘もいる身だが、かつて封印した彼への熱い恋慕が蘇る。

 


この映画がむっちゃおもしろかったのは、もしかしたらオレのツボにクリティカルだったせいも多分にあるのかもしれませんが。
というのも、あっ、と気付いたのは、オレって“継承の物語”に異常に弱いっつーことなわけですょ。
じぃちゃんと、オヤジと、子供がいて、で、一つの世代が終わり、また新たな世代が継承を繰り返しながら新規更新されていうという。
それは特段に継承が描かれている必要はなくって、“世代”が意識されているのが良い。
くたびれかけたオッサンがいて、若い男がいるという。
だから好みで言えば、孤高のクリント・イーストウッドよりかはハワード・ホークスの西部になっちゃうみたいな。


小説で言えば、パール・バックの「大地」とか、山崎豊子の「大地の子」なんて最高だょね。
「ループ」がサイコーなのは、もろ直接的で科学的な因縁つけながら継承を描いてるからだ、なんて妄言してみる。
みたいな。

ジョジョで言えば、5部はその意味で好みじゃない。
みたいな。





ちなみに今、「眉山」という映画が公開されてますね。
若い頃の母と娘が、回想と現実を介しながら重なっていく話なんだけど、話的には継承の話ではあるんだろうけど全くボクのツボからは外れてるんだな…

つまり、あの映画に決定的に足りないのは、生活感なんじゃなかろうかと思う。
生活感…もっと具体的に言えば、“働く姿”かしらね。
この人が確かに生きたのだ、と描くに最も直接的な姿は“働く姿”だと思うのね。
働く、といっても金を稼ぐだけじゃなくって、何かしら登場人物が生きるためにしている行為という意味で。
西部劇だったらば、そのまんまにカウボーイであること、あるいはガンマンであることですね。

ボクの好きな映画「パーフェクト・ワールド」においては、主人公のブッチ(ケビン・コスナー)は、子供を誘拐して逃避行をするわけだけど、子供を誘拐して脱獄するのもワルのお仕事(笑・・・だし、アラスカの父に会いに行くこと自体が彼にとって生きるための行為なんですもの。


で、世代の継承とは、まさに生きる姿の継承であるからして、働く姿の描写の欠いた「継承についての映画」ってのは大抵つまんない。


で、「眉山」でクリティカルに足りないのは、母の若かりし頃のお仕事風景は辛うじてあるものの、あくまで母のキャラなり、父との関係を説明するための映像になってしまっているし、娘の働く姿などはホントに説明的に挿入されているに過ぎない。
だから、母と娘の姿を重ねられても、ふ~ん、母と娘は似るもんだね…くらいで終わってしまう。
世代の交代、継承というところまで届かない。
「東京タワー」の方がはるかに母の働く姿、息子が働く姿を頑張って映してたね。

ま、最も「眉山」がどういうモチベーションでつくられた知らないから、好き勝手言ってるけど。
でも、少なくとも母子の感動モノをやりたいなら、生きる姿(それは病気に闘うという直接的なものではない)をキッチリ匂わせないと、とは思う。
(小津の映画だって、直接的な働く姿はなくてもあれほど働いてる感を出しているじゃないか。
それに対して「男はつらいよ」の博の働く姿のリアル感、働いてる感の無さ具合は一体どういったことだ。)


…いつもの如く話がそれたけど。



で、「ナビィの恋」。

この映画も実は、非常に「眉山」的なのだ。

“親側”に関しては、例えば母役の平良とみさんや、父役の登川誠仁さんの、彼ら自身の年季の入った背中で、“生活感”を出してはいる。
(宮本信子が十数年ぶりにスクリーンに帰ってきた、と言ってみたところでおよそ及ばないものである。)
また彼らの質素さに対する、十数年ぶりに島へ帰ってきた“かつての人”の如何にも金持ち紳士な佇まいとのギャップによってもその効果を挙げているだろう。



しかし、娘の西田尚美に到ってはもはや、松嶋菜々子とさほどの違いはない。
都会がいやになって島へ帰ってきた娘の東京での生活、過去も語られるわけでもなく、ただただ母のそわそわした行動に心配し、右往左往するばかり。


確かに「ナビィの恋」なのだから、母の恋がメインだし、西田は一種の観客の目線なのだから当然だ。
と言われるかもしれない。
し、実際に終盤に到るまで、ナビィの恋物語なのだ。


なのだけれど。


なのだけれども。



この映画が真にスゲーのは、ラストのラストになって、妻という肩書きをとるか、それとも十数年ぶりに蘇った熱い想いをとるか悩み続けた彼女から、いともあっさりと妻・母の肩書きを奪い去り、彼女を“恋する人”として過去―神話へと送り出してしまう。


残ったのは―かつてナビィという恋する人がいた…という神話だけ。
そしてナビィは主人公であることを止めてしまう。
平良はその地位をあっさりと、それまで右往左往するだけの西田にバトンをホイっと放り投げる。
なんぼなんでも、彼女にバトンは受け止めきれないだろう…。


上映時間は残り十数分しかない…

眉山の二の舞か?(いや、眉山のほうが後年の作品だから二の舞じゃないんだけどね)



しかし、この残りたった十数分で、彼女は見事にバトンを受け取りきってしまう。
ただ母と子がいて、母がいなくなって、あぁ悲しい、なんて安易なものでなく、シッカと継承劇に昇華させてしまう。


しかも、ボクがこれまでだらだら書いてきた“生活感”あるいは“働く姿”を映す、という方法とは全く違う思わぬ方向から。

なんてこった!




というわけで秀作です。


いつもながら意味不明レビューになっちゃいましたが。



あ、最近、映画生活にTBしなくなりまして…で、TBしてたのは多分にストーリーとか、作品概要の説明を書くのが面倒だから、その辺知りたい人はリンク先へ飛んでねだったんですが、特に最近、映画観た人じゃないと意味不明なレビューな気がするのですが…要りますか?

ナビィの恋 ナビィの恋
西田尚美 (2000/08/25)
バンダイビジュアル

この商品の詳細を見る


船から西田さんが海へ飛び込むシーンの、イマジナリーラインと飛び越えちゃうハプニング(どうも西田さんが泳げなくて撮影が大変だった性みたいだけどw)
とか、ラストの踊りのシーンの偽長回し―ヒッチコックと同じことやってるとことか、それだけでもおもしろい。

スポンサーサイト

« 「アヒルと鴨のコインロッカー」 (2007) | HOME |  「ホテル・ハイビスカス」 (2002) »

コメント

コメントの投稿

 
管理者にだけ表示

トラックバック

「-」

管理人の承認後に表示されます …

トラックバックURL

http://mrsrobinson.blog107.fc2.com/tb.php/50-52ab463f

⇒ この記事に対してトラックバックを送信する(FC2ブログユーザー)

 | HOME | 

カテゴリー

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

ブロとも申請フォーム

ブログ内検索

リンク

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。