2007–04–07 (Sat) 21:16
友人の結婚式2次会の幹事をやることになってるんですが。
新郎新婦共通の身内ばかりなので、ただの飲みでいいだろうと思って。
とりあえず芸好きな先輩から、2次会のやり方くらいネットで調べて
やれ。
と、お叱りを受けまして。
といっても身内でビンゴしてもなぁ…みたいなのもあり。
っつーか何すればいいっすかねぇ…
いつもコミック紹介はジョジョなのですが、今日は「団地ともお」。
最近はめっきりマンガを読まなくなって、わざわざ買ってるマンガといえば「スティール・ボール・ラン」と「ぴゅ~と吹く!ジャガー」くらいなもんですが…
衝撃を受けたマンガは、これがジョジョ以来です。
っつーぐらいスゲーと思う。
といいながら…7巻までは読んでたけど、今日、すでに8巻、9巻まで出てるのに気づいて、いまさら購入。
まぁ、言ってみれば、ジョジョは現マンガ界の黒澤明(正直、ちょっと違うんだけど…)だとすれば、「団地ともお」は小津安二郎だ!と勝手に豪語してたんですょ。
少なくとも、この作者は映画マニアで…いやマニアというより、「映画」自体を高いレベルで自身に取り込んでいる人だと思います。
でないとコレは書けない。
団地に住んでいる子供たちを描いた、1970年~1980年生まれの団地世代には郷愁を覚える、まるで一見「三丁目の夕日」のようなマンガですが、やってることはまるで“アクション”。という、まさに小津。
そう、「三丁目の夕日」と「団地ともお」の間には、「ALWAYS 三丁目の夕日」と「お早よう」ぐらいの差があるんですね。
(と、いってもボク的な両作品の位置づけが分からないから…何言ってんだか分かんなんですょね…)
このマンガのすごさってのは、テーマとしてノスタルジーを掲げつつ、しかしマンガの手法に対して「今のマンガは何が出来るのか?」ってことを実によく考えてる、と感じさせる。
8巻で感動したのは第13話の「ぜったい近所だよともお」。
マンガの舞台や、昔の記憶の一コマの場所に既視感を覚えるっつー話。
愛読している「スポーツ大佐」の一コマが、近所の公園だといって聞かないともお。
友人たちで、そのシーンを再現してみるという流れ。
そのコマにはスポーツ大佐、クマ、カラス、ウンコがあって、ちょっと知ったかぶりでナイーブなキャラの根津がウンコ役にさせられているというのが笑いを呼ぶ、ってのが趣旨だと思われます。
しかし、たとえば「ぴゅ~と吹く!ジャガー」にもありそうなこの再現シーン。
決定的に違うのは、
この再現シーンを誰も外から確認していない…つまり、ツッコミ役がいない。
おそらく、この無意味に思える再現シーンの空気感にはあまり重きが置かれていない。
ジャガーだと、このシーンにはどんよりとした空気感-マンガの中のキャラクターたちが、その無意味感を感じ取っているように描写される-が表現されそうなところ、「団地ともお」にはそれがない。
それよりも純粋に、マンガのコマ内に、マンガ内のマンガの一コマ(つまりスポーツ大佐の公園での一コマ)を再現させる、ということが目的に見える。
同じページの右上にスポーツ大佐の一コマ、で、下にともおたちの再現コマ。
この2コマは同じページで、全く同じ構図、アングルで描かれている。
このあと、オチでもともおたちがコマの再現をするのだがここでも全く同じ配置、アングル。(オチだからページを変えてはいるが)
つまりココで言いたい事は、
ストーリー上の流れからくる雰囲気で笑わせるのではなく、純粋に絵でおもしろさを出そうとしているんじゃないか?
と思うのです。
この回に限らず、「団地ともお」には、こういったいろいろな“試み”が見られておもしろい。
ファンタジーや、格闘ものでなくても、アクションは出来る!
(個人的には「浦安鉄筋家族」より上です)
このマンガ、傑作です。
で、小津だ!と思ってたら、8巻/第8話「1283回まけられるかいともお」で、ともおのおじいちゃんが聴いているラジオが「やすじろうの夕焼け五・七・GO」なのだ!
これは偶然か…はたまた…